GOTOH FILM『30年前の恐怖の夏』姫路空爆の記録 昭和50年('75)作品

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姫路空爆を再現した8ミリ映画です。
新聞にも掲載された作品です。
協力 黒川録朗 高橋秀吉
制作年月日 昭和51年3月
使用カメラ キャノン シングル 518
フイルム フジ

この作品は幼い頃あまり見た記憶がありません。多分小さかった私には父として怖がるだろうと思ったのでしょうか…
大人になってから見る機会があり、B29の飛行機の映像だけが記憶にありました。
映画で見るとその迫力と音声がかなりリアルに体感出来ます。今でも映画は人の心に特別に残るもので、ビデオが流行ってきた時代にさしかかっても父はずっと8ミリ映画作り一筋を守ってきたのも分かる気がします。ビデオと映画はそれぞれに特徴があって、父が表現したかったものは映画を通して伝えたかったんだと思います。

実家にエアコンはソロバンの教室と2階の父の部屋にしかなかったので、暑い日の夏は父の部屋で宿題をしたり、白黒のテレビを見たりして過ごした思い出があります。部屋には映画の機器が沢山あって、カメラや関連の本や資料にレコード、8ミリ映画に関わった民芸品等が飾ってあったり、映画のタイトルやGOTOHフィルムのロゴ等の原画、私にとってはなんだか秘密基地みたいな部屋でした。この映画に出て来た様な戦争の写真が掲載された書籍なども置いてあったのも覚えています。

30年前の恐怖の夏と言われても太平洋戦争に繋がる方は恐らく少ないと思います。今となっては、この映画が作られてからの年数の方が長くなりました。30年前に戦争があったなんて、父と母にとって戦争はついこの間のような強烈な記憶であった年代、戦争当時10歳足らずの父母、2人とも長男長女。母は国鉄務めの(祖)父の都合で当時広島在住、戦禍で岡山に疎開、両親と弟妹は原爆に遭遇しました。少し離れた場所であっても大変な状況だったようです。子ども時代に父も母もそれぞれの戦争を体験し、たった30年で戦争の欠片さえ見つけられないくらいに街や人も発展や変化を遂げたことも何処か脅威にさえ感じ、戦争の歴史を繰り返しては絶対にならない、戦争を知っている者は伝えていかなくてはならないと、この映画が作られたのだと思います。制作にあたって限られた資料をかき集め、実際に花火を爆弾に見せかけ撮影したり、なかなかデータがない時代によくここまで探したと思いました。私が説明出来る所は、登場人物に最初に本を読んでいるのは父の妹である叔母。一升瓶で玄米をついている(昔ながらの精米)ほっかむりは母の弘子、赤ちゃんは多分私だと思います。この映画に出てくる、手柄山中央公園にある白い巨塔は今でもその姿を見ることが出来ます。剣が大地に刺さった不戦の誓いを意味する形になっています。

この動画を見て下さった方々は私と同じ戦争を知らない世代の方々である事はほぼ間違いないと思います。この映画が皆様にとっても、戦争を考える一助にならんことを…合掌(-人-)

優子(2020.5.16記)

Twitter http://twitter.com/YouSuzuki8

#8ミリ映画 #太平洋戦争 #姫路空爆の記録

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